母は自分が8歳の時に父親と再婚した女だ。
小学校2年生だった自分は当然母が実の母ではないことはわかっていた。
自分が中学校1年生の時、父親がガンで亡くなりました。
その後母は再婚もせずに今に至ってます。
母が再婚した時、母は30歳でした。
子供を作ろうと思えば作れたと思うのですが何故か子供は作らなかったみたい。
今も何故子供を作らなかったのかは聞いていないし聞きづらい。
あれは今から2年前、高校3年生の時に自転車で転倒して両手首を骨折してしまい、肘の下から手のひらまで両手共ギプスをはめられてしまい、何をするのも母の手を煩わせてしまった。
早い話ご飯も食べさせてもらってました。
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学校では授業を聞いてましたが当然ノートは取れません。
昼ご飯は仲のいい友達にパンを口まで持って行ってもらってました。
下着なんとか自分で着替えてましたが、下着以上の服も母に着せてもらってました。
そんな生活が1週間過ぎた時無性にオナニーがしたくなったものの当然オナニーなんて出来ません。
毎日オナニーしていた自分に取ってすごいそれが苦痛でした。
10日を過ぎた時に我慢しきれなくなって自分は決意しました。
母にオナニーの代わりをしてもらうことを。。。
「お、お母さんお願い自分で出せないんだよ、お願いだから手で出して」
母の返事は
「何言ってるのバカ」
当然やってもらえる訳がありません。
自分はそれでも我慢の限界で翌日もお願いしてみました。
でも返事は同じです。
その翌日3回目のお願いをした時、母は観念したのか自分のことを哀れに思ったのか
「もう・・・」と言って下着を脱がせてくれました。
母が手で優しく握ってシコシコし始めたのですが、お風呂では自分の前にタオルを掛けて母が洗ってくれていたのですが、アソコまでは洗ってくれていなかったので自分でもすごく臭っているのがわかりました。
なので当然口でなんてお願いも出来ないし、お願いしても無理だと思うし、ましてや口でしてほしいから先に洗ってなんてお願いも出来ませんでした。
今までオナニーしかしたことがなかったので、母とはいえ血の繋がりのない女性に手コキをしてもらうと3分ともたずにクライマックスが近づきました。
「逝きそう」
と言うと母は用意していたティッシュを4~5枚重ねて自分のお腹の上に敷いてくれました。そう、お腹の上に・・・。
「えっ、これじゃ、逝くとこ見られちゃううじゃん・・・。」
と一瞬怯みましたが、もう我慢できません。
もういいやと思い、「逝く!」と言うと母は握りを強くし、先ほどよりも早いリズムで扱いてくれました。
結局ギプスが取れるまで1ヶ月余りの間に3回手コキで抜いてくれましたが、3回とも逝く瞬間を間近にみられました・・・。
せめてティッシュをチンコにかぶせてくれればいいのに・・・。
でも、当たり前ですが、それ以上のことはありませんでした。
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